某所で世界平和とは何かを語っていた。

ま、俺の結論からすれば
「人間が全て滅びない限り真の世界平和は訪れない」
ということかね。
人の死に対し、考えが甘すぎる人が多いと思う。

人を殺して自分に為になることなんてあるわけない。
自分で自身の命を絶っていいことなんてあるわけない。
命は金で買えたり、簡単に代えが利くものではないんだ。

それがわからない人が多すぎると思う今日この頃。

2月6日の日記

2005年2月6日 生と死
今日はおばあちゃんが亡くなってから四十九日、つまりお墓に入る訳です。

今日は良く晴れていましたが風が強く、寒かったです。
お線香をあげるときに風が吹いてきて、お線香から炎が上がったりもしました。

人、生き物は必ず死にます。だから生きている間に何かを人の心に残せる人は素晴らしいと思います。
おばあちゃんは僕たち残された人々にたくさんのものを残してくれました。
僕は何かを残せるのかな・・・

12月30日の日記

2004年12月30日 生と死
今日は昨日のように雪は降っておらず、とてもよく晴れていました。

おばあちゃんの葬式が、行われました。

たくさんの人が来ていました。おばあちゃんはこんなにたくさんの人々に見守られて葬式を行うのか・・・

御経が終わり、皆で棺桶の中のおばあちゃんに最後のお別れの言葉をかけました。たくさんの花に囲まれ棺の中にいるおばあちゃん。
やっぱり眠っているようにしか見えないよ・・・

涙が出てきておばあちゃんの顔もよく見えなくなってきた。
どれだけ我慢しても、涙は流れてしまうんだなあ・・・

「涙が悲しみを溶かして 溢れるものだとしたら
 その滴も もう一度飲みほしてしまいたい」
・・・ポルノグラフィティ サウダージ

まさにこの歌詞のようでした。

だけど火葬が終わり、白いかけらと粉になってしまったおばあちゃんを見せられると、「自分は真実を見ているんだろうか?」とか「実はこれはたちの悪いドッキリなんじゃ・・・」などと思ってしまい、涙は出ませんでした。今まで気付かなかったけれど、それだけ「おばあちゃん」という存在が大きかったんだなあ・・・

今年、「年賀状なんて書かねーよ」とか思っていたら、「書けない」になってしまいました。

来年はどんなに大変でも、年賀状だけは欠かさず書きたいと思います。

12月29日の日記

2004年12月29日 生と死
某所の掲示板にも書きましたが、先日に母方のおばあちゃんが亡くなりました。83歳でした。

おばあちゃんの家は自分の家の最寄り駅から3つ離れた所と、かなり近かったので正月など行事があるときにはいつも寄っていました。
うちの家族が来るたびいつも笑顔で迎えてくれて、御馳走などもたくさんしてくれました。
おじいちゃんとは歳が8〜9歳離れていました(おじいちゃんの方が年上)。とても仲の良い夫婦でした。

1ヶ月ほど前になって体の調子が悪くなり、病院に入院していたのですが、病院の先生もすぐに良くなるような事を言っていたそうです。
しかしなかなか体は良くならず、普通の病室から個室に移ってしまいました。

俺はなかなか都合が合わず、お見舞いにもあまり行けませんでした。1週間前にお見舞いに行ったときは検査の直後で麻酔が抜けておらず、正直元気だとは言い難い状態だったのですが、25日ごろはとても元気で食事も出来たそうです。

27日、おばあちゃんが大変だということで母が先に病院へ向かいました。あとで父親から電話がかかってきて、「俺達も夕飯を食べたら病院へ行こう」との事。
父が帰ってきてすぐに母からの電話。やばいらしい。
車で病院へ向かい、着いたのはちょうど9時でした。

病室では姉と母、叔母さん達、そしておじいちゃんがいました。
みんな、泣いていました。

病室にいた先生が俺と父親の到着を確認し、言いました。

「午後9時、死亡を確認しました。」

何を言ってるんだよ・・・
人ん家のおばあちゃんを勝手に殺すなよ・・・

俺には泣くことしか出来ませんでした。
なんでもっとお見舞いに行ってやれなかったんだよ・・・
俺に出来ること、いっぱいあったはずなのに・・・

やっと泣き止んだときには、もう10時を過ぎていました。

次の日の部活は休みました。風邪が悪化してしまった事もあるのですが、ショックが抜け切れなかった事のほうが大きく、起きてしばらくしてまた泣いてしまいました。

・・・そして今日。通夜がありました。
おとといには気付きませんでしたが、おじいちゃんの背中がとても小さくなったように見えました。俺以上にショックだったろうに・・・

納棺の時、ふとおじいちゃんの顔を見ると少し目が潤んでいました。俺もまた、涙が出てきました・・・

明日は葬式です。また泣いてしまうかもしれません。